桝郷春美のブログ

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フリーランスのライターです。執筆記事や日記など。

さよならとはじまり

思いがけない引越し、終わりと始まりは突然にやってきた。

京都に移り住んで7年。ある日、住まいで怖いことが起きた。もう、ここにはいられない。非常時にも関わらず、遠慮しいの私は、助けて、とすぐに周りに甘えられなかった。だけど、心身ともに限界で、知り合ったばかりのジャズ喫茶で、マスターと妻のミチヨさんに事情をこぼした。ミチヨさんは心配して、その場でアパートの大家をしているお客さんに連絡してくれ、私は同じ夜に引越しを決めた。

まずは、荷物整理をしないといけない。だけど一人で部屋にいるのが不安でたまらない。そんなとき、ジャズ喫茶の娘のカナコさんが近くの川で摘んだという水仙をくれた。それを部屋の窓に飾った。ふわっと漂う、清々しい香りに癒やされた。こんなときこそ「感謝の気持ちを中心に持つといい」と知らせてくれて、作業中もメッセンジャーをオンラインにしてくれていた。一人で片付けをしながら、一人じゃないと思えた。

困った時に助けてと言えない自分の弱さを知った。それでも遠慮してしまうどうしようもない私に、一歩も二歩も踏み込んで手伝いに来てくれた友達がいた。アキさん。たまたま「眼鏡研究社」製の同じ眼鏡をかけているのがきっかけで仲良くなった友人。そのアキさんが持ってきてくれたケーキを一緒に食べながら、おじゃべりしているなかで、思い出した。私はこの住まい空間が好きだったと。特に、キッチンのあるスペースがお気に入りで、ここでぼーっとしたり、食べて飲んで、読書したり、原稿書いたり。結婚に破れ、ゆっくりと時間をかけて自分を再生してきた空間でもあった。最後にちゃんと思い出せてよかった。アキさんの暖かさが骨身にしみた。

引越しの最後は両親に頼った。近くに住んでいるわけではない。申し訳なさと有り難さと情けなさと。荷物の片付けを済ませて、私が食べる用に母がパックに詰めて持ってきてくれた手料理を置いていってくれた。ごはん、切り干し大根の煮物、お味噌汁。再び一人になった。食べようとした時、下階から怒声が聞こえてきて、怖くなった。一秒でも早く去りたいと思い、結局、冷蔵庫に戻して、いち早く住まいを出た。眠れること、美味しく食べられることは、安心できる場所があってこそ成り立つもの。それを思い知った。

新居には、もう入っていいと言われていた。入居予定日より前だけど、念のため、大家さんが部屋の鍵をジャズ喫茶に預けてくれていた。何とか入居日までふんばりつもりだったけど、やっぱり無理だ。鍵を取りにいこうとお店に電話したけれど、タイミング悪くつながらない。どうしようと思っていたら、ジャズ喫茶で知り合った常連のお客さん、ヤマダくんのメッセンジャーがオンラインになった。連絡して事情を打ち明けたら、すぐにジャズ喫茶に行って、鍵のありかを確認してくれた。

その夜に泊まる最低限の荷物だけ持って、鍵を引き取りにジャズ喫茶に向かった。着いてようやく緊張がほどけた。ミチヨさんのご飯を食べた。熱いコーヒーを飲んだ。わんわん泣いた。怖かったーと何度も吐きながら。ええ大人やのにな。思いっきり泣かせてもらえたことが有り難かった。その場にいたマスターもミチヨさんも、お客さんも、ただそこにいてくれた。

引っ越すまでの2週間、ほぼ毎日のようにジャズ喫茶に通った。安心できる場所を求めて、身体が吸い込まれていった。ノラ猫のように毎日ご飯を食べに来る、コンチャンと呼ばれるおっちゃんと、マスターと3人でカウンターに並んでミチヨさんのおいしいご飯を食べた。そのひとときで、どうにか自分を正気に保てたと思う。旧居とジャズ喫茶を行き来して、冷たい涙も温かい涙も、たくさん流した。

出会ってから日は浅いのに、親身になって手を差し伸べてくれた人たちがいる。そこはジャズ喫茶で、暮らしの根っこからつながる関係が育まれているように見える。これから私も、そんな風な人との関わり方をしていきたい。もう遠慮しいの自分は、さよならしよう。

 

カナコさんがくれた水仙。そこにあることで、心細かった気持ちを立て直せた。旧宅を去る時、水仙を近所のおばちゃんにあげた。するとパァッと笑顔になって、その場で玄関に飾ってくれた。


京都の北から南へ、旅する水仙。南から北へ、運ばれてきた私。

新たな扉が開いた。

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@ along the Katsura river photographed by Aki