「僕の時計は50年前から止まったまんま」
なじみのジャズ喫茶。ノラ猫のようにふらっとやってきて「ごはん」と一言。マスターと並んで我が家のようにして夜ごはんを食べているおっちゃんがいる。
「コンちゃん」と呼ばれているその人は、遠慮しいの私でさえ、父親よりも年上なのに気兼ねなく愛称で呼べてしまう、開放的な雰囲気をまとった人。本名は知らない。
今日、初めてゆっくりお話ができた。
電気工事士として50年。
大阪万博のとき、弟子入りして仕事を始めた。当時、建設されたばかりの美浜原発一号機から送られる電気を、会場前まで電車を走らせるための変電工事に関わったのが最初。
電気は目には見えないもの。落下や感電して命を落とした同僚が三人いた。自分も電気の圧で体が吹っ飛ばされたことがある。
電線は複数の金属線を撚って作られ、その中心にはピアノ線と同じものが入っている。そんな話を聞きながら、後ろでジャズのピアノの音色が溶け合うように流れていた。
「このおっさん、ほんまにきれいな仕事するで。仕事だけはきれい。あとは、はちゃめちゃやけどな」とマスターはニコニコしながら話す。
子どもの頃から自分で身を立ててきた人らしい。誰もが見落としがちな微細なところに目をつけお金に変えた、とあるエピソードには、たまげた。目のつけどころ次第で、生き抜いてこられるのだな。
74歳。今も現役。
50年同じ仕事をする中で、時代はこんなに大きく変わった、と。何となく、どこか突き放したような言い方に聞こえた。その後に続いた言葉にどきっとした。
「僕の時計は50年前から止まったまんま」
だから生きにくいねん、と小声でぽつり。ひょうひょうとした調子で。
このジャズ喫茶は、身近にあって気づかない世界の広がりを見せてくれるお店。それは、お客さんもそうだな。そんなことをしみじみと感じながら、目には見えない電気を観察しながら歩いて帰った、6月最後の金曜の夜。