「ウチナーンチュか?」
アマのシマに、やっと行けた。尼崎の戸ノ内にある沖縄家庭料理屋「より道」へ。店内に入って間もなく、ほぼ同じタイミングで一人の女性が入ってきた。「ウチナーンチュか?」その人は、入るやいなや、お店のお客さんにそう声をかけられていた。沖縄の人とわかると、初対面でも一瞬のうちに打ち解けて沖縄の言葉が飛び交う。
すごいな、このスピード感。
この夜は、初来店したウチナーンチュの姉さんに、皆が魅了された。酒に強く、常連の兄さんが浮かれて口説こうとするのを小気味よくかわし、酔い潰れてしまった他のお客さんの後始末をするお店の人を手伝ったり。頼もしい姿をたくさん見た。
山納さんの案内のもと、私がこのお店に初めて行ったのは9年前だったかな。カウンターで一緒になった沖縄出身の一世のおじいちゃんが「出会えば皆きょうだい」と言って、温かい笑顔を向けてくれた。
ママの家庭料理と、人のむき出しのエネルギーみたいなものに魅かれていった。沖縄の人ではない私にも「出会えば皆きょうだい」の気持ちで接してくれていることが伝わった。
時を経て、お客さんも世代交代していった。カラオケで、沖縄民謡がJ-popに変わっていった。沖縄時代の昔話をする人がいなくなった。それでも...
約一年ぶりに訪れることができた今回。コロナ下でお店を閉めていた時期を経て再開し、70代のママが元気に迎えてくれた。お店があり続けて、本当によかった。
コロナ下で、あらゆるところで分断の危うさがあるなか、「出会えば皆きょうだい」の精神は、ここにかろうじて息づいている。それを確認できた夜だった。
*2016年に神戸新聞に連載されたシリーズ。貴重な記録。
https://www.kobe-np.co.jp/.../sp/P20160116MS00157.shtml
記事が出て6年が経とうとする今も、切り抜きが店内に飾られ、ウェブ転載記事を見た人が店を訪れる。
自転車 Season 2 - 霜月
なじみのジャズ喫茶のマスターたちとの滋賀サイクリングに、久しぶりに参加できた。
今回、目指すは三上山、希望が丘。
国道をまっすぐに走ると早く着いてしまうからと、あえて遠回り。いつもの感じで、即興で走るマスターについていく。田んぼの十字路を走り抜ける快感や、旧街道沿いの建物の風情の味わい、ふいに現れた鎮守の杜に引き込まれるのも、遠回りの賜物。
と余裕のはずが、山に入ると、上りが続いてバテてしまった。「上り坂はジグザグに走るとええで」。マスターがアドバイスをくれる。どうにか上りきった先に、360度広やかな景色が現れた。芝生に寝っ転がると、もう空しか見えない。その清々しさに、昼間の自転車乗りもいいなと思う。
春から秋口までは、真夜中の滋賀サイクリングが恒例。「耳を大きくして」自然の音を聴く。それがマスター独自の乗り方。夜中に乗るという時点で世間の感覚とは、きっとずれている。外れたところから、面白い世界がグンと広がると知ったのが昨春のこと。出会って2年目にして、その世界にすっかりなじんでしまった。
なじんでからやっと見え始める、奥深さがある、と近頃は感じつつある。
19歳からジャズ喫茶一筋。30代でジャズの写真表現を始め、40歳から夜の滋賀を自転車で走るようになり、すべて今も「続けて」いて74歳の今、誰にも真似できない「オレの道」がある。
「自分が70代になっても、同じように自転車に乗り続けられるやろか」と、ずっと共にサイクリングしてきた50代のミチヨさんが話していた。そうやな。
今きっと、かけがえのない背中を見せてもらっている。力がどこにも入っていない軽やかさと、揺るぎない生きざまの。
雑誌掲載:『AERA』「はたらく夫婦カンケイ」
Walkin' About 水無瀬
この2カ月ほど、ずっと「開く」ということを考え続けている。
自分を開く、場を開く、可能性を開く。
開くって、いったいどういうことだろうか、と。
かれこれ4年になるのかな。大阪と京都の間にある島本町に通うようになったのは。きっかけは、前の職場のもと同僚が住んでいて、すてきな本屋さんがあると知ってから。本屋さんを通じて、本当に心を開いて話ができる友人ができていった。
以前、この町に行った時のことを投稿したら、山納さんが、参加者が独自の目線でまちを切り取って、見てきたものを互いに共有するWalkin' Aboutという企画に、この町を選んでくださった。
歩いた後の共有の時間。
この時期に20人ほどが集える場を見つけるのは難しいねと話していたら、駅前の広場は? いける! 長谷川書店とやまねこハウスから椅子を出せる、みんなで運ぼう、という具合に、その場でトントン拍子で決まった。地元の人や、Walkin' Aboutの常連さん、ご近所さん、初めて町に来た人など、さまざまな人が、この町で過ごしたそれぞれの2時間を語っていった。それは、風通しのいい、ひとときだった。
なんだろな、この風通しのよさは。
昔、この町には離宮があり、庭園もいくつもあったのだそう。いわば、町全体が大きな庭だった、と地元の参加者の一人がすっくと立ち上がって、一帯に大きな円を描くように、腕をめいっぱい広げながら教えてくれた。
だからなのかな。駅前を歩いていても、立ち止まっても、内と外の隔たりがあまり感じられない。
人も、町も、開いている。
だからここでは、ふっと肩の力を抜いて、ひとときゆるめられる。
自分を開く、場を開く、可能性を開く。
執筆の仕事に切羽詰まりながら、ずっと考えてきたことの兆しになるような何かが、この日あったような気がする。
移民日記ーー時のこえ
入賞の知らせが届いた。
この春、たまたま新聞で「文芸社×毎日新聞 第4回人生十人十色大賞」という公募を見つけた。短編部門に応募した。それが入賞作30点のうちの一作に選ばれ、来年、合同作品集として全国出版されるらしい。経費は出版社負担で。
アメリカの山奥と日本海の村をつなぐ移民のルーツが私の親族にはある。メジャーな歴史に残らない、はみでた歴史。そんな話を真剣に聞いてくれて、自身が作る冊子で書く場を与えてくれた人がいた。それで、ようやく重い腰を上げて、17年来温めていたライフワークに取りかかったのが4年前。以来、毎年夏を締切とし、秋に冊子の形にして執筆者で感想会を開き、切磋琢磨していく場に参加していた。
が、プツッと途切れた。
事情により、その書く場も語らう場も突如無くなった。それでも、私は私で書き続けていこうと頭では考えるものの、向き合えずに時が過ぎていった。
気持ちの置きどころが定まらずにいた最中に見つけた公募。書いて区切りをつけたくなった。試行錯誤しながら書いてきたものに、そして突然途切れてしまった状況に対する戸惑いにも。沈みがちな気持ちをどうにか奮い立たせ、ルーツを知って人生が変わった私事を短編エッセイに凝縮した。それは、なぜ私は書くのかという原点と、ライターとして有名人ではなく市井の人の魅力を見つめようと、かき立てられる今の自分とが必然とつながっていった。
3カ月が経って、ふいにやってきた一通の知らせ。印字されたタイトルを目にした時、安堵のようなものを感じた。この極私的な話を知らない誰かが読んでくれて、大きな歴史からはみ出た物語がつながれた感じがした。
同様に私の気持ちもつなぎ止められた気がした。立ち止まっても、手放してはいないという確認とともに。
Time marches on.
https://www.bungeisha.co.jp/jinsei/
自転車 Season 2 - 文月
夜の神社を怖いと感じなくなったのは、なじみのジャズ喫茶のマスターが案内してくれる真夜中のサイクリングの味を知ったから。湖東の平野を走る。ジャズと同じく即興で道を行くマスターの背を追う。国道から田園のあぜ道に入ると、山間からお月さんが顔を出し始めた。今宵の幕開けだ。月は瞬く間に上っていき、丸くて大きく黄味がかったその姿をすべて見せた後、再び雲に覆われた。
今回は多賀大社へ。「あそこは一歩中に入ると空気が変わる」とマスターは言う。昨年それを体感した。二度目の今回は、また違う光景が広がっていた。1万灯もの提灯が翌週の祭に向けて飾られており、人気のない境内でその存在感が異彩を放っていた。「今日は軽めで」と30-40キロほどのラン。74歳でそんな走り方ができるのは体力だけが理由ではないだろう。マスターは普段から余計な力が抜けているように見える。
翌日、ジャズ喫茶の常連さんの中で80代?マダムがランチに合流した。帰路の車内で、ふと聞いてみた。このジャズ喫茶に来たきっかけは?と。約20年前に他界した夫が通っていたのが、この喫茶だという。夫は神戸の六甲にあった米軍施設で戦後間もない頃に働いていたのがきっかけで、当時アメリカから通信で流れてくるジャズを聞いていたそう。
1950年代のジャズのレコードをかけることも多いこの喫茶で、美味しいコーヒーを味わいながら当時リアルタイムで聞いていたジャズを懐かしんでいたという。他にも家族の話として語られた内容には、私の知らなかった歴史の話がたくさん含まれていた。
55年間、ジャズ喫茶を続けているマスター。20年30年40年50年来の常連客と共に年を重ねていく付き合いをしているこのお店。お店を介した人のつながりは、コミュニティとかファミリーという言葉では伝わりきらない深みがあるように感じる。それはジャズという音楽の性質に加え、ご夫婦が二人で営むジャズ喫茶が引き寄せる何かが水脈のようにある気がしている。
まだうまく言葉にできないのだけれど、ジャズ喫茶と出会って1年半が経ち、夜中の滋賀サイクリングも2シーズン目に入った今、マスターの在り方のように、力の抜けた感じはいいなと思う。
雑誌掲載:『AERA』「はたらく夫婦カンケイ」
週刊誌『AERA』7月19日号の「はたらく夫婦カンケイ」で、Milletの隅岡樹里さんと敦史さんを紹介しています。
京都の静原に暮らし、自宅でお店を開いているお二人。樹里さんは予約制のランチを出して、敦史さんは石窯でパンを焼き、無農薬の野菜を栽培されています。お二人のことを紹介するのに、本質は肩書きとは別のところにあるのだと思います。実際にMilletの空間で樹里さんの料理を味わい、石窯パン独特の美味しさを知り、敦史さんが開墾から行ったという周りの自然環境に身を置いて、そう感じました。
集落にお店はMillet一軒のみ。隅岡さんファミリーの生き方に魅力を感じて、移住してきたというご家族がいて、これから新たに移り住んでくる人たちもいるそうです。
「子どもたちが大人になる頃には、夫婦や結婚という言葉もなくなるくらい自由な人間関係になるんじゃないかな」という樹里さんの言葉に、胸のすく思いがしました。過疎の村で、しなやかに可能性を広げているお二人の多面的な魅力が伝わればいいなと思います。
Millet https://www.cafemillet.jp/
*写真は上から、
『common cafe~人と人とが出会う場のつくりかた~』(山納洋著・西日本出版社):今回の取材で、樹里さんと敦史さんを紹介してくださったcommon cafe(大阪・中崎町)オーナーの山納洋さんの著書。開業時のメンバーだった樹里さんのことも紹介されています。
Milletのお店カード:2019年、神戸・長田の「city gallery 2320」で、 ピンホール写真展「circulation」を鑑賞。煎茶道の時間に参加したら、作家の鈴鹿芳康さんがこのカードをくれました。
*ウェブ転載記事(7/18追加)
https://dot.asahi.com/aera/2021050600042.html