詩:なごみの時間
夜寝る前に詩を読むようになったのは昨春から。近頃どうしようもない心の渇きを自覚し、手に取って読める活字の本や雑誌の中で、ふと出会う言葉が自分への水やりになっていた。
そんな時、友人が詩のオンライン朗読会を開くというので参加に手を挙げた。11名参加で、4人1グループに分けられた。いま、詩の言葉を欲している人が多いんかもしれん。一人一篇、選んだ詩を声に出して読む。昨夜が参加の回だった。私が選んだ詩はこちら。
はるかなみらいの とほうもない ゆめをみながら
かたくなに いきていくのは
もう ちと こころぼそい
せめて このよの ひとのなごみを
やわやわとすでる かぜになりたい
——真久田正「NOTICE(ウンチケー)」より
この詩に出会ったのは、随筆集『読むことの風』(アサノタカオ著、サウダージ・ブックス)より。著者の方の、この詩へのいざない方も含めて魅かれた。
目で読んだ時は、とりわけ「かたくなに...」のくだりが響いていた。ところが参加者3人の方に声で届けた途端、締めの「かぜになりたい」が気になり出した。つかみどころのない、かぜというものに、果たして私はなりたいと思えるかな。そのまま、みなさんに聞いてみた。かぜになりたいって思えます?
一語、一句、一節、ぜんたいを眺めながら、それぞれの方の解釈で、この詩の世界をミクロにもマクロにも膨らませてくれた。
「“せめて”からの連なりで捉えるといいんじゃない」
「“なごみ”って何だろ、安全地帯のイメージがする」
「かぜになりたいかどうかはうまくいえんけど、風をテーマにした、こんな詩があるよ」
五月の風が 耳元で やさしく語る
ぼくはね かつて生まれたこともない存在だから 死ぬこともない
ただ 今を 吹いているだけ
(略)
一人の方が、この「風」という山尾三省さんの詩を声に出して読んでくれた時、心に微かな風を感じた。私が声に出して届けた詩の息吹に呼応して、風の詩で応えてもらった。その瞬間、何かが立ち上がった。画面越しであっても。あー、この感覚が、「やわやわとすでる かぜになりたい」ってことやろか。
一人一篇、自ら選んだ詩を朗読し、他の人が選んだ詩に耳をすませて聴く。ざっくばらんに語らう。正解はないから、その時感じたことをそのまんま伝え合えばいい。小さな集いだから安心して話せる気楽さもある。「ひとのなごみ」って、きっとこんな時間のこと。
いま、必要な時間だったと思う。
主催の友人の場を作る力や、参加者の方々との響き合いが生まれたからこそ、そう思えた。自らそんな場を開けるかといえば自信はない。だけど、いま、詩を求めている人がいたら、こんな小さな交歓をこれからもしていきたい。