アメリカ村やった
「久々子(福井県美浜町)にな、こんな立派な梁の家が建っとるとこは、だいたいアメリカに行っとった家系や。この家のおじいさんもアメリカに行って稼いだお金でこの家建てたんや。おじいさんは、英語の辞書見ながらアメリカ人とケンカしとったらしいわ」
祖母の3回忌での集い。
近所のおばあさんと天井を見上げながらのおしゃべり。
ライフワークで取り組んでいる、アメリカで半生を過ごした曽祖父が残した58冊の日記をもとにした「移民日記ーー時のこえ」。年に一回のペースでゆっくりと書き進めている。3回目の文章が印刷物として出来上がった。今日、仏前にお供え。
日本と米国、二つの国をまたいで時代に翻弄されて生きた無数の人々がいる。曽祖父も曽祖母も、その一人。そして、アメリカをつくってきた無名の人々の一人である。大きな歴史に残らない、存在が知られていない辺境の声。昔も今も、たくさんある。
80歳を越えた、その近所のおばあさんは知っていた。
「日本が朝鮮から労働者を受け入れとったのと同じように、日本からアメリカにぎょうさん(たくさん)の人が渡った時期があったんや。ここがアメリカ村と言われたのもそう」
知っていたのは、その辺境が、おばあさんにとっては中心だから。そこから、独自の哲学が生まれてくると日記をなぞって感じ始めている。
そのおばあさんは、こうも言った。
「昔な、おしゃべりなおばさんがおって、村のことをいろいろ教えてもろた」「私もおしゃべりになって、村の人らに『くちのすけ』って言われて、ようからかわれた」
こんなおしゃべりの連なりが、口伝になっていくのかな。