桝郷春美のブログ

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フリーランスのライターです。執筆記事や日記など。

まち歩き演劇『忘れじの朝』

チンチン電車で、大阪・堺へ。
集合場所は、さかい利晶の社。
天気予報は雨。ところが上演開始前に青空が広がった。

 

まち歩き演劇『忘れじの朝』に参加。鑑賞というより、体感としては参加と言った方がしっくりとくる。歌人与謝野晶子さんが生まれ育った堺のまちで、ゆかりの場所を巡りながら上演が行われた。

 

www.sakai-rishonomori.com


まちを歩きながら上演って、どうやって?
素朴な疑問を持っていたのは私だけじゃなかった。参加者の皆さんがそうだったみたい。主催の方々も、そんなHowを見つけ出す所からのスタートだったという。その方法に正解はなくて、試行の色合いが強い第一弾を見届けられたという意味でも面白い時間だった。


座席がない、セッティングされた舞台がない、歩いて移動し、各地で物語が細切れに繰り広げられる。新鮮な感覚だった。二つの異なる時間が同時に動いていく。物語は明治期、歩く舞台は現代。


リアルなまちが演劇空間になるってすごいことだ。上演のために整えられた舞台はない。おかまいなしに信号は変わるし、鳥は飛ぶし、人や車が行き来する。通行人が立ち止まって見ていたり、商店街ではお店の人が出てきて拍手していたりも。そんな即興の出来事が面白い。作・演出の高橋恵さん(虚空旅団)自らがいざなって、行く場所行く場所に見えない舞台のラインができる。舞台って自在なんだな。


境目がなくなる。
時間も空間も。
現在の時間の流れに、物語の時間が小さなポケットみたいに現れ、その中に観客は前のめりに入っていく。そうしないと、まちの現実感に引っ張られそうになるから。その意識は、昔の痕跡が消えて見えなくなる土地の記憶を、想像して見ようとする感覚と重なるように感じた。


堺のまちには与謝野晶子さんの歌碑がある。まち歩き演劇の取り組みにおいて、その晶子さんが遺した言葉が、土地と物語をつなぐ礎になっていた。そこを「忘れじの朝」では丁寧にすくい上げている印象を受けた。


演劇でいざなわれた、まちを観るフィルターで、まち歩きをするのは面白いと思う。そして、まちに飛び出した演劇の可能性をこれからも見ていきたい。

 

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※「第1回だいとう戯曲講座」体験リポート(2016年、大阪府大東市を舞台に上演するという実験企画「だいとう戯曲講座」に筆者自身が受講生として参加して、物語が立ち上がる過程を連載した記事。講師:高橋恵さん〈虚空旅団〉、プロデューサー:山納洋さん〈大阪ガス株式会社〉)

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